カタ屋研究会概要〜カタ屋研究会は、謎の露天商「カタ屋」についてその全貌を明らかにすることを目的に設立されました。「どうでも良いことを真剣に考える」がこのページの基本です。カタ屋に関する情報をお持ちでしたら、ぜひともご一報くださるようお願いいたします。

カタ屋に関する疑問

カタ屋は私立の名門小学校の校門前でも商売をしていたのか? 

 『こち亀』を読んでいて、両さんがカタ屋の話をするときの中川と麗子の反応。二人の反応を見ていて思ったのだが、私立の小学校近くでもカタ屋は商売をしていたのだろうか? 私立小学校出身者からの情報をお待ちしております。

カタ屋のおやじの使っていた乗り物は? 

 僕の記憶に間違いが無ければ、砂絵屋のおやじも笛屋のおやじも乗り物は蕎麦屋の出前持ちが使うようなバイクだった。小学校のときの友達のところに確認の電話をしたところ、黒の頑丈な自転車だったと言う。

 カタ屋のおやじの使っていた乗り物を記憶している方がいらっしゃったら、ぜひとも情報をお寄せください。


昭和26年生まれ。日暮里。

 カタ屋のおやじは自転車で移動していました。


昭和28生まれ。練馬区桜台。

 黒い自転車の荷台に木箱を積んで2、3カ月間隔(?)でやってきて、決まった家の門柱の所のスペースにたたみ半畳ほどの店を広げていました。やはり3、4日位で居なくなった様に記憶しています。あと、直接は関係無いかもしれませんが、カタに鉛を流し込み文鎮を作った記憶があります。今でも実家のどこかにあるかも、、?


昭和35年生まれ。北区赤羽。

 乗り物は、黒の頑丈な自転車。荷物は、古そうな長方形の木の箱(現金、色、カタなどが入っている)と石油缶のようなブリキのふたのある金属の缶(粘土が入っている)木の箱は、開店時にはおじさんの前に置かれ、その台の上でやりとりをする。ブリキ缶はおじさんのイスになる。


昭和38年生まれ。川口市。

 カタ屋のおやじは、ワゴン車で公園に乗り付けていました。


昭和39年生まれ。東京都足立区竹の塚。

 ライトバン移動。


昭和42年生まれ。川口市。

 私が覚えているカタ屋のおやじののっていた乗り物は、自転車でしたが、色は記憶に残ってません。小学校の前に下校時間にやってきて、ローセキ(?)で、道路に「ガーターや、氷川神社」とか書いていたのが、記憶に残ってます。自分たちも「カタ屋」と呼んでいたのですが、なぜかおやじは、「ガーターや」と書いていたので、記憶に残ってます。


昭和45年生まれ。東京都台東区立千束。

 乳母車で小学校の横にある千束公園に現れたお婆さんでした。商売道具は乳母車の中です。


昭和48年生まれ。江東区。

 おやじはチャリンコにリアカーのイデタチで登場してた。友達の中でも数人しかカタはもらえなかった。でもまただまされたい! カムバーック!


昭和48年生まれ。埼玉県戸田市。

 リヤカーみたいなのできて、ビールケースのうえにベニヤをのせてテーブルをいくつかつくっていたと思います。

 

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