カタ屋研究会概要〜カタ屋研究会は、謎の露天商「カタ屋」についてその全貌を明らかにすることを目的に設立されました。「どうでも良いことを真剣に考える」がこのページの基本です。カタ屋に関する情報をお持ちでしたら、ぜひともご一報くださるようお願いいたします。

カタ屋のおやじのその人物像に迫る

 僕の記憶に残る砂絵屋のおやじは、小柄な50歳近いおやじおやじでした。具体的に言うと、場外馬券場でぶつぶつ文句を言いながら、オッズとにらめっこしているおやじのイメージと言えばおわかりいただけると思います。

 笛屋のおやじと言うと、タイプ的には砂絵屋のおやじと同じですが、笛を吹いて商品を説明する文、明るさがありましたが、平日の競艇場で、ワンカップを飲んでいるおやじタイプの人でした。

 どこからともなく1日だけ現れて、忘れたころに現れるおやじに会うのが楽しみでした。

 今みたく、簡単に写真が取れる時代でしたら、誰かが写真を撮ったのでしょうが、当時は、カメラと言うよりは写真機の時代。おやじの姿はイメージでしか残っていません。

 そこで皆様のイメージにあるカタ屋のおやじを教えていただけませんでしょうか? どうかよろしくお願いいたします。

 

昭和5年生まれ。(居住地記入なし)昭和15年に目撃。

老人のおじさん


昭和29年生まれ。新宿区。

 小学校の帰り道にあたるところです。「粘土、いらんか,粘土、いらんか」みたいなことをブツブツと、売る気なさそうに 誰にともなく、つぶやいていました。 私は残念ながら買ったことがなく、値段はわかりません。


昭和40年代から50年に出現。新宿、渋谷地区。

 おやじは、『キテレツ大百科』の勉造さんをそのまま50代にした様な人物。他の下町に出てたカタ屋は違う人物像だったんので何人かのメンバーがいたらしい。 


昭和40年代から50年に大阪で出現したカタ屋の中年夫婦の特徴。

 おやじは、『キテレツ大百科』の勉造さん、ばあさんは『サザエさん』の花沢さんが白髪になった感じ。


昭和38生まれ。昭和45年に、赤羽公園。

 おじいさん。作業服着ていたような? 駄菓子屋のおじいさんが営業かねてやっていたという感じなんですよ。こち亀のような商売的な人でなかったです。また、水飴やせんべい、カタ抜きなんか売っていたおじいさんと知り合いみたいでした。


昭和38生まれ。昭和46年〜50年ころに神社(茨城県結城市)の境内。

 青木功といかりや長介を足して2で割って浮浪者風にした感じ。


出現時期は昭和40年代半ば〜昭和50年くらい。江東区北砂町。

 子供好きそうな、やさしいおじさんでした。乗り物はリヤカー付の自転車かスーパーカブあたりであったと思います。


出現時期は昭和42〜48年ころ。東京都北区赤羽。

 勉造さんが年を取ったような60才代後半くらいのおじいさんでした。しかし、子供好きには見えず、何かあると怒ってよくどなられました。自転車の荷台にカタを積んでやって来ていました。


昭和45年生まれ。台東区立千束。

 遭遇したカタ屋はおやじではなく、お婆さんでした。


昭和45生まれ。平成10年に東京都調布市。

 テキヤのオヤジ風。


昭和48年生まれ、埼玉県戸田市。

 小学生(昭和55年から昭和62年ころ)のころよくカタ屋はきました。おじさんの印象は、今のいかりや長助っぽくて競艇場にいるおじさんのファッションセンスっぽかったです。


昭和48年生まれ。江東区。

 乞食のおっちゃん。うそつき。いつにまにか出没してる。得点が貯まるころには逃げちゃう! (チキショー! )数ヶ月後にまた登場するが、おやじの顔なんか覚えてないし、得点ノートも新しくなって最初からやり直しになる・・・。


昭和48年生まれ。埼玉県越谷市。昭和55〜59にかけて遭遇。

 カタ屋のおやじは、粘土と同じような肌の色。酒焼けかもしれません。


昭和49生まれ。平成9年に新潟県で遭遇。

 近所の神社の縁日で目撃。タイプとしては気さくなおやじ。

 

「スタイリー調査隊」〜伝説の運動器具スタイリーの謎を解く!〜
伝説の運動器具スタイリーの謎を解く!