カタ屋研究会概要〜カタ屋研究会は、謎の露天商「カタ屋」についてその全貌を明らかにすることを目的に設立されました。「どうでも良いことを真剣に考える」がこのページの基本です。カタ屋に関する情報をお持ちでしたら、ぜひともご一報くださるようお願いいたします。

カタ屋の正式名称は? 

 カタ屋を研究するに当たり、まず問題となるのが、正式名称は何と言うことかです。商標登録しているとは考えられませんので、カタ屋に正式名称があるのかどうかと言うことです。そして、カタ屋の名称が、それで正しいとして、どれが正しい表記なのかと言うことです。

 このページは一応、「カタ」屋と、カタカナ表記にしてあります。表記の根拠は一応あります。『カメダス』(集英社)の171ページで「カタ屋」と表記されているからです。根拠と言えばそれだけです。『こち亀』の秋本先生がそう表記している以上、従わざるおえませんが、表記としては「カタ屋」「かた屋」「型屋」などの3つが考えられます。

 正しい表記があるのか、それとも、地域によって表記が異なるのか、ぜひとも皆様から情報を頂戴したく思っております。

 どうでも良いようなことを真剣に考えるのが、このページのテーマですので、どうか皆さんのお考えをお聞かせください。

 どうかよろしくお願いいたします。

 『こち亀』(集英社)では、両さんは「カタ屋」と言ってますが、「たけしくん、ハイ!」(大田出版)で、国際的映画監督のビートたけしさんは、「ねんど屋」と表現しています。

 たけしさんが育ったのは、足立区梅島。「カタ屋」「ねんど屋」、呼び方の違いは、地域的なものか年代的なものか、それとも、結構いいかげんなものなのか、皆様の情報をお待ちしております。

カタ屋の正式名称に関する証言

昭和5年生まれ。(居住地記入なし)昭和15年に目撃。

 カタ屋と呼んでいました。


昭和28生まれ。練馬区桜台。

 確か「カタ屋」だったと思いますが。


昭和29年生まれ。東京都新宿区。

 私たちは”粘土屋”と呼んでいました。


昭和30年生まれ。足立区。

 そのころは「粘土屋」と言っていたような気もします。


昭和36年生まれ。埼玉県川口市。

 カタ屋。


昭和37年生まれ。東京都江戸川区平井一丁目空き地で 昭和44年ころ遭遇。

 私たちは「ねんどや」と呼んでいました。


昭和38年生まれ。江東区北砂町。

 我々は「カタ屋」とは呼ばず、「どっこいしょ粘土」と呼んでいました。由来はおじさんの口上です。例えば、

私:粘土20円ちょうだい! 
おじさん:(リズムにのって)ごーえん、ごーえん、じゅーえん、じゅーえん、じゅーごーえん、じゅーごーえん、にーじゅーえん、にーじゅーえん、オーマーケー、オーマーケー、ドッコイショ、ドッコイショ・・・

 文章では表現しにくいですが、独特のリズムにのって粘土を売るのです。


昭和38生まれ。昭和45年に、赤羽公園。

 ねんど屋とよんでいました。


昭和38生まれ。昭和46年〜50年ころに神社(茨城県結城市)の境内。

 カタ屋と呼んでいました。


昭和44年生まれ、埼玉県幸手市。

 当時私は、なぜか「ガタヤ」と記憶をしていたのですが、ある日のこと、「カタ屋」のおじさんが、数人の子供をひきつれ歩いていくのをみかけました。「これからやるんだな」と思った私も一緒になって後をつけていくと、おもむろにおじさんが白いチョークで道路に、「カタヤこっち」と矢印とともに書き込んだのです。(カタヤ表記がひらがなだか、カタカナだったかはおぼえていません。ここではカタカナを使用でしています)

 そこで、私は子供心に「ガタヤ」ではなく「カタヤ」なのかと理解したものでした。というわけで、おじさんが自分で書いているのですから「カタヤ」もしくは「カタ屋」が正解ではないかと思います。


昭和48年生まれ。江東区。

 カタ屋、とか、おやじ! と呼んでいました。


昭和48年生まれ。埼玉県越谷市。

 カタ屋のオヤジと呼んでいました。


 

「スタイリー調査隊」〜伝説の運動器具スタイリーの謎を解く!〜
伝説の運動器具スタイリーの謎を解く!